六月のきれいな風は
2024年6月2日。晴れた涼しい日。
夕飯を食べて片付け、夕方の散歩に出る。夕日が落ちたあとの18時、空はまだ明るく、ゆったりとした気持ちであるくのには、ちょうど良い光の加減だ。
梅雨入り前の住宅街の道を、大きく手を振りながら歩く。曲がり角の家の、茶色い煉瓦塀の飾りの隙間から、道路側に紫陽花がはみだして咲いている。薄い黄緑色の小さな蕾がたくさんついた紫陽花は、所々青いがくが咲きはじめていた。紫陽花が咲き始めると、雨の季節が近づいているなと、心が弾む。
大きく振る手先に、柔らかくすべすべとした風が触れてゆく。
私は毎年、「思い出すこと」を楽しみにしていている俳句がある。毎年いつ頃に、自分はハッと「六月を奇麗な風の吹くことよ」とつぶやきたくなるのかなと。「六月を奇麗な風の吹くことよ」は、正岡子規の句だ。この「奇麗な風」に出会えたか、出会えなかったか、どんな風に吹かれたときそう思ったのか、去年の自分の記憶とくらべて楽しんでいたりする。
「奇麗な風」に出会えるかは毎年の運試しのようなもの。今日の梅雨前の柔らかくすべすべとした風は、乾きすぎず、暑くも寒くもなく、私にとっては久々の、当たり年だ。